文化系トークラジオLife

バッジ届きました!
…って、なんでだろうなぁーと考えました。

メール送ったけど、まだ読まれてないし…。
外伝2で読まれるのだろうか。

文化系トークラジオLifeは、唯一メールを読んでくださる、貴重なラジオ番組です。

他の番組は、いつもポッドキャストで聴くのだけれど、この番組だけは、いつも眠い目をこすりながら生で聴きます。

これからも、面白い番組をよろしくお願いします!

番組存続のためなら、リスナーはなんでもしますよ!

日本人はなぜユダヤ人のことを話したがるのか?

 内田先生の講演を早稲田まで。

 卒業してから(就職してから)4年振りの早稲田。
 36号館の3階の教室。(久しぶりに来たはずなのに、そういう気がしませんでした。就職してもなお、僕は学生なんだなと、感じさせられました。)
 教室は満員でした。(この教室が満員になったことなんて、学生時代はありませんでした)

 戦前の日ユ同租論を担ったスポークスマンがたどった道のりを、(1)アメリカ留学している、(2)キリスト者という2つの側面に注目。
(1)アメリカの近代性に圧倒される
(2)日本は「遅れている」という危機意識
(3)なぜ日本は遅れているのか?
(4)アメリカ留学時に迫害にあっていたユダヤ人に注目
(5)ユダヤ人の高い知性、高い霊性に注目
(6)「神州日本」は、高い霊性・高い知性ゆえに、ユダヤ人と同じくアメリカから「迫害されている」という同胞意識を「勝手に」抱く(「親ユダヤ」的考え)

 内田樹先生も、同じような過程を戦後、日米安保から反米闘争の終焉を迎える1975年(当時24歳)の時にたどることになる。
(1)反米闘争に敗れ、「アメリカに敗れた」という敗北感に包まれる。
(2)アメリカを睥睨するような圧倒的な高みに到達したいという、抑圧された無意識を形成する
(3)そこで向かった先が、「ユダヤ人(ブランショレヴィナス)」と「武道」であった。

 戦前の日ユ同祖論者と、内田先生がたどった道のりがここで重なる。
 アメリカに敗北した戦前の留学生=内田青年は、「知的に」アメリカを乗り越えるためには、「圧倒的に頭の良い」ユダヤ人に自らを重ねようとすることで、敗北を乗り越えようとした・・・。

 内田樹先生らしい、まことにアクロバティックな立論でした!

 また、その後の質問が、講演内容と全然関係なかったけれど、とてもおもしろかった!

 特に、小泉純一郎に関する考察が爆笑でした。
 小泉「構造改革」「イラク戦争派遣」が「失敗」に終わったことは、まさに小泉首相の望みだった。なぜなら、小泉首相は「反米」であり、「構造改革」=アメリカンスタンダード、「イラク戦争」=アメリカの軍事的決断を「わざと」失敗させることで、「やっぱりアメリカじゃだめなんだ」という日本国民の合意を形成させたという点で・・・。

日本人はなぜユダヤ人のことを話したがるのか?

 内田先生の講演を早稲田まで。

 卒業してから(就職してから)4年振りの早稲田。
 36号館の3階の教室。(久しぶりに来たはずなのに、そういう気がしなかった・・・)
 教室は満員でした。(この教室が満員になったことなんて、学生時代はなかったなぁー)

 戦前の日ユ同租論を担ったスポークスマンがたどった道のりを、(1)アメリカ留学している、(2)キリスト者という2つの側面に注目。
アメリカの近代性に圧倒される
②日本は「遅れている」という危機意識
③なぜ日本は遅れているのか?
アメリカ留学時に迫害にあっていたユダヤ人に注目
ユダヤ人の高い知性、高い霊性に注目
⑥「神州日本」は、高い霊性・高い知性ゆえに、ユダヤ人と同じくアメリカから「迫害されている」という同胞意識を「勝手に」抱く(「親ユダヤ」的考え)

 内田樹先生も、同じような過程を戦後、日米安保から反米闘争の終焉を迎える1975年(当時24歳)の時にたどることになる。
①反米闘争に敗れ、「アメリカに敗れた」という敗北感に包まれる。
アメリカを睥睨するような圧倒的な高みに到達したいという、抑圧された無意識を形成する
③そこで向かった先が、「ユダヤ人(ブランショレヴィナス)」と「武道」であった。

 戦前の日ユ同祖論者と、内田先生がたどった道のりがここで重なる。
 アメリカに敗北した戦前の留学生=内田青年は、「知的に」アメリカを乗り越えるためには、「圧倒的に頭の良い」ユダヤ人に自らを重ねようとすることで、敗北を乗り越えようとした・・・。

 内田樹先生らしい、まことにアクロバティックな立論でした!

『第9地区』感想

さて、『第9地区』ですが、最初から最後まで気持ち悪い映画でした。最後の感動的なシーンでさえも、気持ち悪さでいっぱいでした。はっきり言って、映画を観終わってからも、「すっごい良かった!」「久しぶりに映画館に行って、こんな良い映画を観られるとは思ってはいなかった!」と思えるような映画ではありませんでした。せっかくの休みの日に、こんなひどい映画を見せられるなんて、とも思いました。しかしそのひどさとは、『20世紀少年』を観たときに感じる「金返せ!」的なひどさではなく、自分自身の異形のものに対する不寛容さを突きつけられるつらさから来るものだと思います。
 徹頭徹尾感情移入できない。映画内で描写される、エイリアンを使って研究をするアメリカ企業の実態は、それはそれでひどいことだと分かるのですが、だからと言って、エイリアンのあのひどい外見が映し出されると、思わず気持ち悪くなって感情の共有を拒否してしまう。倫理的、論理的には100%エイリアンに賛成するのですが、あの外見を見ると「やっぱ地球から出てってくれよ」と思ってしまいます。
 自分の生活を振り返ったとき、今後日本に移民が大量移入してきたときに、自分と外見の違う外国の人々がが身近にいる環境に耐えられるのかって、深く考えさせられてしまいました。そのため、映画を観終わった後、しばらく呆然としながら街をふらふらしてしまいました。外見が違うだけで感情の共有を拒否してしまう不寛容さに対して、どう対峙していいのか分からなくなりました。
 『第9地区』という映画がアメリカで作られるという事実に、アメリカ社会の凄みを思わずにはいられません。社会が直面している「他者」との遭遇に対して真摯に向き合う姿勢に脱帽です。この映画は万人にはお勧めできませんが、社会に対して少しでも真面目に考えようという姿勢がある人には、「お勧めです!」という感じでしょうか。