「月光」
鬼束ちひろの曲を語るとき、この「月光」を抜きにすることはできません。
デビューの時、人はもっと慎重になるのでは、ないでしょうか?
例えば、「この腐敗した世界に落とされた」とか、
「こんなもののために生まれてきたんじゃない」とか。
「こんなもの」とは、「この腐敗した世界」です。
「この腐敗した世界」とは当然、現実の日本、現実の世界です。
「この腐敗した世界」では、「あなた」の感覚が散らばっています。
この「感覚」とは、文字通りの「感覚」であり、
また、情報や感情のメタファーでしょう。
私たちは、「心を明け渡したままで」
「誰かの感覚だけが散らかっ」た世界に生きています。
この「散らかった」という表現はおもしろい。
そう、いろんなものが、散らかっている。
「私はまだ上手に 片付けられずに」いる。
そもそもこの世界では、「片付ける」ことを念頭に、
何かが生産されているという気がしません。
例えばgoogleの登場によって、そもそも「片付ける」という概念が、
喪失しつつある。
放り込んでおけば、勝手にgoogleが整理してくれたり、
検索機能によって、見失っても勝手に見つけ出してくれる。
しかし、その「検索」や「整理」には、分かりやすい符丁・特徴が
必要です。誰もがわかる・誰もが理解できる、分かりやすい符丁が。
鬼束ちひろの悲劇は、自分が抱えている、どうしようもない疎外感
から来ると思います。
「この腐敗した世界」に受け入れられていない、居場所がないという
感覚。
そんな彼女は、検索も整理もできない、私たちが名付けえない感覚を
持っています。
検索や整理の前提は、名づけられていなければならないということです。
名付けえぬものを抱え、彼女は、今も歌い続ける。