『1Q84』

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

 世界とは、「悲惨であることと「喜びが欠如していること」との間のどこかに位置を定め、それぞれの形状を帯びていく小世界の、限りのない集積によって成り立っているのだという事実を、窓の外のその風景は示唆していた。
 しかしその一方で、世界にはふかえりの耳と首筋のような、異議を挟む余地もなく美しい風景も存在していた。(257)

 そのとき青豆が月に向かって何を差し出したのかはもちろん分からない。しかし月が彼女に与えたものは、天吾にもおおよそ想像がついた。それはおそらく純粋な孤独と静謐だ。それはつきが人に与え得る最良のものごとだった。(392)

 月は相変わらず寡黙だった。しかしもう孤独ではない。(395)

 パシヴァ=知覚するもの=知覚したことをレシヴァに伝える=心の影=月が二つになる

 それ(ドウタ)を身代わりとして残し、実体は「集まり」というコミュニティーから逃げ出したということも。(415)

 彼女は私に向かって何かを求めていた。間違いなく。でも私には護らなくてはならない私の秘密があり、孤独があった。あゆみとはどうしても分かち会うことのできない種類の秘密であり、孤独であった。彼女はなぜよりによって私なんかに心の交流を求めなくてはならなかったのだろう。この世界にほかにいくらでも人はいるはずなのに。(435)

 1Q84年、それがこの世界に与えられた名称だ。私は半年ばかり前にその世界に入り、そして今、出て行こうとしている。意図せずにそこに入り、意図してそこから出て行こうとしている。私が去ったあとも、天吾はそこにとどまる。天吾にとってそれがどのような世界になるのか、私にはもちろんわからない。「見届けるすべもない。でもそれでかまわない。私は彼のために死んでいこうとしている。私自身のために生きることはできなかった。そんな可能性は私からあらかじめうばわれてしまっていた。でもそのかわり、彼のために死ぬことができる。それでいい。私は微笑みながら死んでいくことができる。(444)

 説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ。(458)

 世界が隅々まで美しくなくてはならないとまでは言わない。しかしなにもここまで醜くなにてもいいのではないか。(465)

 1Q84年の世界には非常階段はもう存在していない。
 出口はふさがれてしまったのだ。(469)

 その世界に入るドアは一方にしか開かないのだ、と。

 私からの忠告。大事な忠告。目をそらし、何も見ないで、できたての銀色のメルセデス・クーペを運転して、そのままおうちに帰りなさい。あなたの大事なご主人や子供たちが待つきれいなおうちに、そしてあなたの穏やかや生活を続けなさい。これはあなたのような人がめにするべき物じゃないのよ。これは本物の醜い拳銃なの。(474)