桐野夏生

 桐野夏生は憂鬱だ。

 新刊が出るのを心待ちにしながらも、いざ読もうとするとひどく憂鬱になる。

 鬼束ちひろの曲を聴くときにも感じる、ひどく憂鬱な気分につながる。


 桐野夏生の文章は、読者にある覚悟を要求している。

 それは、以前の自分とは違う自分になるという覚悟だ。


 一度その世界に足を踏み入れたら最後。

 もう二度と、かつての世界に戻ることはできない。


 それが凄くつらい時期がある。

 桐野夏生鬼束ちひろが必要な時期とは、その毒を受け入れる時だ。

 その準備が出来ていない時は、全く彼女たちを受け入れることができない。


 私はそれでいいと思っている。

 

IN

IN

 「入口と出口が必要である」と村上春樹はかつて述べた。

 桐野夏生は、出口を先に用意して、12年ぶりに入口を作った。


 時代の閉塞感から、出口ばかりを探していたあの時代から、もう12年も経ったのかと思うと、非常に感慨深いものがる。

 時代は変わり、出口の意味が軽くなったわけではない。

 しかし、出口なんて、誰もそう大した差があるわけではない。

 終わりには、死があるだけだ。


 入口はしかし、千差万別。

 

帰り路をなくして

帰り路をなくして

 帰り路を失くし、途方に暮れた私たちに、改めて入口を指示してくれるのか?