sign = sing

signという単語は、語順を入れ替えると、singになる。

「徴候」と「音楽」。


鬼束ちひろさんの「sign」という曲の特徴を考えるとき、

彼女の「音楽」に生じた、ある「徴候」を見逃せません。

Sign

Sign

ジャケットのカバー写真に写った彼女の顔。

かつてない穏やかさに満ちています。

その「顔」に相応しい、穏やかな音楽。


しかるに、

歌詞の内容自体は、穏やかさとはおよそ無縁であり、

「世界は笑ってくれるだろうか?」と、

自分が「笑われる存在であること」を承認した、

ある種「道化」の感覚を持っており、

自分自身の「特殊性」を、軽い絶望をもって肯定しているように、

当時は感じられました。


「仕事」や「義務」とはおよそ無縁な、

「自分」という重責に堪えきれなくなったとき、

私たちは、一体どうすればよいのだろう?


それを「幼さ」と名付けてしまえば、

「大人になれよ」の一言ですませてしまえるのだけれど、

そうではない切実さを感じるからこそ、

鬼束ちひろの音楽が、必要とされているのでしょう。

グロテスク

グロテスク

桐野夏生の作品が、明らかに変化したのは、『グロテスク』からでした。

手紙を通じて語りかけるような文体は、「文字にする」という理性の裏に、

狂気が宿っていることを如実に伝えていました。

理性の内側に潜む狂気。

狂人が理性的に文章をつづるという矛盾。

それを、矛盾と感じさせない迫力を気力を持って、桐野夏生は、

『グロテスク』という大作を、書き上げました。


鬼束ちひろ桐野夏生


二人の巨匠は、今現在、私にとって、

最高の「ブンガク」を提供してくれています。