「美の教室、静聴せよ」展

横浜美術館で開催されている、「美の教室、静聴せよ」を観にいく。

「教室」という名の通り、1時間ずつ「美」に関する講義を聴きながら、
各「教室」をめぐっていく。そして、最後にはテストが用意されている。

作者が、自らの作品を「解説」することは、芸術の分野ではタブーとされている。
ロラン・バルトの「作者の死」以後、「作者」が前面に出る「芸術作品」は、
「芸術」として「価値の低い」ものとみなされてきた。

今回この作品展に「参加」して感じたのは、「作者」の復権である。

「教室」をめぐりながら講義を聴いているうちに感じるのは、
芸術作品ひとつひとつに対する、過剰なまでの「作者」の「作為」である。

ある絵画を模倣するために、その絵画に描きこまれている洋服、楽器、人間、その他小物類まで、
自分の手で「忠実」に再現してみる。その作業は、途方もない努力と、作品に対する愛情と、
自らの想像力など、様々な要素の組み合わせから成り立っている。

森村の講義は、作品に対する「解説」というより、その作品を成り立たせるために、
作者がいかに作品と格闘したかという「制作秘話」である。
それがなぜ重要なのかといえば、芸術作品とは、個人の思いつきではなく、
先達への深い理解と愛情から成り立っていることを、
観る側に再認識させるためだろう。

最後の三島を模した演説がとりわけ感動的なのは、
森村が持つ芸術への深い愛情を、それまでの講義で感じ取っているからだ。

「自分を否定するような芸術表現に迎合するな!」という、狂おしいまでの絶叫は、
芸術に対して命をかけて物の言葉として、「静聴」に値する。