政治

 次回の文化系トークラジオ Lifeのお題は「政治」。

今日は、現在の「政治」に何ら興味を持てない私にとって、

「政治」を身近に感じさせてくれた書物を取り上げてみたい。

それは、『滝山コミューン1974』(原武史著、講談社)である。


 「子ども」にとって、「政治」とは何か?

いや、「政治なるもの」を始めて体験するのはいつか?

参政権をもってからだろうか?

社会の授業で、政治体制について学び始めてからだろうか?


 そうではない。「子ども」は、大人の「思想」によって、

いつの間にか既に、「政治」的な磁場の中に巻き込まれている。

「政治」的な立ち位置を自覚し、積極的に振る舞うことこそが、

集団の中で生きる上で身につけねばならない作法であることを、

学校生活で知る。


 『滝山』で描写される<小林君>は、その典型である。

勉強も出来て、コミューンのイデオロギーにうすうす気づいていながらも、<物足りなさ>を埋め合わせるために、コミューンの思想に荷担する彼の

姿は、「政治」的な力学をはっきりと示している。


 「政治」とは、一人の人間を、それに抗うならば、

荷担してしまった方が楽で、荷担しているうちに、その「政治」性を

強化してしまっている、ということではないだろうか?

かなり変な日本語の言い回しで、意味がとりづらいとは思うが、

勘弁してもらいたい。

 要するに、例えば私が国歌斉唱に反対しているとして、

だけど実際に斉唱しないと面倒なことになるから、

なんとうなく歌っているうちに、それが既成事実化して、

後々反論するのが面倒くさくなり、

結局国歌斉唱に賛成せざるを得なくなる、といった状況を指す。

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四