科学は詩的言語の夢をみるか?

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 生物と無生物の起源が、一遍の詩を紡ぎだすように、

語られていく。


 科学や数学史に残る大発見を、そこで戦った学者の群像劇として

描く書物や映像は無数にあると記憶する。学者に自分を重ね合わせ、

いつか自分も同じような大発見をしてみたいと、胸を躍らせ、

食い入るように物語の世界に没入したひとも、少なくないはずだ。


 きのう購入した福岡伸一先生の本も、そんな科学者の発見を扱った

書物のひとつに数えることができる。まだはじめの所しか読んでいない

ので、はっきりしたことは言えないのだけれど。

 この本の特異な点は、科学者の業績とともに、その科学者が過ごした「場所」

が書き込まれている点である。おそらく、著者自身が外国で過ごした、

その生々しい体験が反映されているからである。


 著者が経験した外国滞在の「思い出は」、日本に帰って来てからの生活の

なかで、ゆっくりゆっくり著者自身の中で醸成され、まさに「食べ頃」になって

取り出された。そんな気分を、本書の冒頭からは味わうことができる。

 その「味わい」を一言でいえば、「詩」になっているということだ。

科学史上に燦然と輝く発見が、著者が過ごした思い出深い「場所」で発見される。

その「場」には、著者の思い出がぎっしりと詰まっている。


 思い出は、物語を「詩」に変える。

 時として、そのような「美学」を嫌がる人も、いるかもしれない。

 ただ、そんな「詩」に酔える快楽というのもまた、書物を読む上で、

大切な経験のひとつではないかと思うのだ。