明るさと暗さ
①導入
町中を、暗い顔をした若者が闊歩している。
ただそれだけで、「危険な」人物だという印象を与えてしまう。
「あの若者は『健全』ではない!明るく振る舞うのが若者として『正しい』姿だ!」
という名の「思想」のもとに、「矯正」されるような社会。
②若者
たとえばの話、我々がインドや中国の若者が「素晴らしい」と、手放しで礼賛する
とき、それは資本の論理のもとで「正しい」生き方をしている(つまり、英語が話せて
理科系の学問に精通している)からであり、それ以外の、例えば人文学系の学問におい
て優れた業績を修めている学生は、端から眼中にない。
「貧乏から抜け出す」ことが、「理科系の知識を身につけ、英語を話せる」ことと
イコールである今の時代においては、それほど「問題」視されることはないが、今の
日本を考えると、インドや中国の30年後は、一体どうなっているだろうか?
数学を学ばない、理科系の教科に興味を示さない学生が多数占める現状を嘆く論調
が見受けられるが、それは仕方のないことだろう。なぜならば、日本の若者は、宗教
がなく、共同体も崩壊した孤立した状況で、内面的な苦しみを、自らの力で引き受ける
ことを余儀なくされているのだから。
そんな時、文学や哲学に「救い」を求めるのも、当然ではないか?もちろん、ただ
「分からないから」「面倒くさいから」理科系の知識を学ばないという主張もあるだ
ろうが、それだけで全てを説明できるとはどうしても思えない。
③若者像の変容
日本というのは、そうした意味で、資本主義が爛熟した社会のずっと先を行って、
問題を先取りしている。「豊かな社会」では、「暗さ」が構造的に必然である
ことを知っている。
それなのに、「明るい」若者こそ「健康」で「健全」だとする社会的な風潮が
強まっているように感じる。これは危険だ。
④リスク
今後「暗い」顔をした若者達は、どう位置づけられていくのだろう。
セキュリティーが高度に発達するであろう未来社会において、「リスク」として
排除される対象にされることがないよう、こころから願うばかりだ。