伝わらないのはなぜか パート2
?自分にとって意味あることこそ、「やるべきこと」だと考えることの弊害は、
人がやっていることに、たいした関心を持たなくなってしまうことである。
例えば、「ゴミ箱」問題。
?私の勤務先では、なんとも奇跡的なことに、掃除は外部に委託している。
毎朝清掃会社のおばちゃんが来て、前日の分のゴミを回収してくれる。
言い替えれば、1日経たなければ、たとえゴミ箱からゴミが溢れかえっていようと、
食べこぼしが床に散らばっていようと、「自分の仕事ではない」から無視しても
かまわないのだ。
?結果的にどうなっているかといえば、誰もが無視している。新入社員として
配属されたときまず驚いたのは、配属先の社員・アルバイトの誰もが、ゴミが
溢れかえったゴミ箱を見て、なんの反応も示さないことだった。なぜ彼らは、
ゴミ箱の惨状を見過ごしているのだろうか?以下に、その原因を列挙してみたい。
a .自分の仕事ではないから。
b .ゴミ掃除なんて「わたし」がやるべき仕事ではないから
b'.ゴミ掃除より「大切な」仕事があるから
c .そもそも、ゴミが溢れていることが「不快」でないから
?「c」と答えられたら、これはもう価値観の違いだからしょうがない。素直にあきらめて、
私がせっせと掃除するしかない。でも、ゴミが散乱していたり、ゴミ箱が溢れかえっている
のを見て、不快に思わない人は少数であると仮定する。すると原因は、「a」か「b」かの
いずれかであると考える。
?さらにいうと、aもbも本質的には同じことを指している。ゴミ掃除を低劣な仕事とみなし、
「わたし」にはもっと「大切な」「やるべき」仕事があり、そちらをやる方が、ゴミ掃除を
するより遙かに重要であるというのが、a.bに共通する「思想」である。
?コストパフォーマンスを考えれば、確かにそうした人材がいることは確かだ。しかし、
少なくともアルバイトに、それだけのコストパフォーマンスを要求されている人間が
いるだろうか?彼らは大学生であり、「暇だから」アルバイトに来ているという学生が
大半である。そんな「彼ら・彼女ら」に、「わたし」が「やるべき」仕事と、
「やるべきでない」仕事の区別などつくのだろうか?
?社会人になると、「これは自分のやるべきことで、あれは自分のやるべきことではない」
などという恣意的な「選別」は許されない。「やれ」といわれたらやり、「やるな」と
言われたらやらない。そうした中で、不条理を抱えつつも、自分だったらこうしたい、
自分だったらもっとよくできるという改善点を見つけ出し、発言できる場を見つけて
発言する。
最初から「こんなことやってらんねぇよ」といっていると、自分にとって「快適な」仕事
だけを「選んで」やることになり、「世界」が広がらない。自分の価値観に合致しない
ことは、そもそも最初から「やる必要のない」ことだから、そんな仕事をやる「必然性」
が感じられず、いやだいやだと思っているうちに、「自分に合わない」といって
辞めていくことになる。
?なぜ「伝わらない」のか?
それは一言で言うと、関心がないからなのだ。関心は、主体性から生まれる。
自分に関係がないことでも、「あれはなんだろう」「このままじゃいけないのでは」と
関心を持つことで、主体性は生まれる。