『音楽を考える』

 ≪本物にふれる≫ということについて。

 どんな子どもにだって、一度ぐらいは「本物」にふれた経験がある。

 そこでの感動が、一生の思い出になることだってあるだろう。

 けれど、その子が日常に戻ったとき、「本物」は、手の届かない、

どこか遠くのところにある。


 食事をするときでも、テレビをつけていなければ、その「沈黙」や「退屈」に

耐えられない大人が大半を占めている現状を考えると、いくら「本物」を経験して

感動しても、くだらないものが日常にあふれているために、すぐ忘れ去られてしまう。

つまり、茂木さんや江村さんのご家庭のように、文化や教養が、日常として当たり前に

あった環境を持っていないと、いくら「本物」を経験させたとしても、それを圧倒的な

「量」で上回るジャンクによって、たちまち浸食させられてしまうということだ。