『メタボラ』と『海辺のカフカ』
- 作者: 桐野夏生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2007/05/08
- メディア: 単行本
- クリック: 14回
- この商品を含むブログ (79件) を見る
『メタボラ』読了。
違いは、『海辺のカフカ』でカフカ少年が『田村○○』という「名」を
取り戻すことができなかったのに対し、『メタボラ』の≪磯村ギンジ≫が、
≪香月雄太≫という「名」を取り戻せたことだろう。
『メタボラ』の「迷い」はしかし、ここから始まる。≪磯村ギンジ≫は、
「本当」の「名」を思い出した後も、その「名」で生きていくか、≪ギンジ≫
として生きていくのかの間で逡巡する。話はここで終わる。
「名」をめぐる問題は、「父」をめぐる問題でもある。そして、「血」を
めぐる問題でもある。『海辺のカフカ』でも、カフカ少年は、「父」の「血」を
受け継いでいることに露骨な嫌悪を感じながらも、その「血」に対する責任を
引き受けるという決断をしたわけだが、同様の構造が『メタボラ』でも反復され
ている。
しかし『メタボラ』では、カフカ少年のように迷う時間が残されていないところ
が痛々しい。未成年のカフカ少年は、いくら孤独だといっても、周囲から庇護され
る年齢である。それに対し、『メタボラ』の≪ギンジ≫は、働くしか生きる術はない。
けれど、働いても、またショウもない現実が待っているだけだ。
この負の連鎖に対して、桐野夏生はどのような回答を差し出せているか?
残念ながら、『メタボラ』からは、そこまで読み取ることはできない。
ただ、『海辺のカフカ』が未成年の「自分探し」であったとすれば、そして、そこに
将来への希望があったとすれば、『メタボラ』の≪ギンジ≫には、同じ「自分探し」
であったとしても、未来には絶望しか待っていない。こうした現実への告発を描き
きったところに、桐野夏生の「誠実さ」を感じるとともに、改めて現状の厳しさを、
実感するのだった。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 文庫
- 購入: 21人 クリック: 1,037回
- この商品を含むブログ (961件) を見る
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/28
- メディア: 文庫
- 購入: 17人 クリック: 124回
- この商品を含むブログ (720件) を見る