道徳が教科に?

 朝日新聞3月30日朝刊によれば、

≪政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を

国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する

方針を決めた。・・・通信簿など成績評価の対象になる可能性・・・。≫


 石原千秋著『国語教科書の思想』によれば、

今までは「国語」という教科が、道徳を生徒に内面化させるイデオロギー装置とし

て機能してきた。4択問題の「正解」が、本文を読まなくても当てられるのは、

反道徳的な選択肢を取り除けば(道徳に「正しい」と考えられる答えを選べば)

よいからだ。

 このように、これまでは巧妙にしのび込まされていた道徳が、「道徳」という

教科になるらしい。つまり、これまでは教科としての「国語」が担っていた道徳的

な側面を、「道徳」として独立させるということだ。私はこの点において、世間の

風潮に反して、良いことだと思っている。

 というのも、石原千秋は同書で、リテラシー教育の必要性を提言しているのだが

教育再生会議の「意図」を逆手にとって、「国語」から道徳的な側面を取り除き、

純粋なリテラシー教育としての「国語」という教科をつくることができるのではな

いか、と思うからだ。

 ところで、道徳で「良い成績」をとった生徒というのは、世間からどういう評価

を得るんだろう。こんなこと世間に知られたら、逆に本人にとって「不名誉」な気

する。「おれ、道徳で成績学年1位だったんだよなー」なんて、しゃれにならない

気がする。

 まぁ、おそらくそれは杞憂だろう。というのも、中学生はそんなに馬鹿じゃない

からだ。「道徳」のうさんくささにもっとも敏感な生徒こそが、「道徳」でも、他

の教科でも「優秀な」成績を収めることだろう。「道徳なんて、簡単だぜ!」

なんてね。

国語教科書の思想 (ちくま新書)

国語教科書の思想 (ちくま新書)