「デプス」を見ることは、幸福をもたらすか?
幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス)
- 作者: 宮台真司,鈴木弘輝,堀内進之介
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2007/03
- メディア: 単行本
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若い人たちは、
≪目に見えないデプスを通して馬鹿を見ないようにすること≫
をしないで、
≪目に見える理不尽や不条理に対する耐性≫を身につけようとしている、と。
第一に、その「デプス」なるものの「深さ」を、どのようにしたら計れるか、
ということだと思う。例えば、「民意」なるものが、「くだらない」マスコミの垂れ
流し報道によって形成され、それが「世論」とされ堂々とまかり通っている世の中は
間違っている、という意見があったとして、その「マスコミの垂れ流し報道」が、
誰か特定の人、団体によって意図的に作り出されているとしよう。
本文の具体例で言えば、ヒラリークリントンの「フィールグッドプログラム」なる
ものがそれだが、「フィールグッドプログラム」を推進しようとする人(団体)は、
自分(達)の利益や政策に反しない限りで、市民が「いい気持ち」でいられるよう
巧妙な情報操作を行っている。
ここで問題が浮上してくる。このヒラリークリントン(及び、彼女の政策を支持す
る人たち)の考えを規定しているのは何なのか?本文で言えば≪頭の良いネオコン≫
的な思考様式である。では、この≪頭の良いネオコン≫的な思考様式を支持している
のは「誰」なのか?以下同様に、どんどん無限後退していって、最終的に「ユダヤ人
陰謀」説に到達しそうで、「だったら考えるだけ無駄だよねー」ということになりか
ねないように思う。
私のような若者が、「世の中変わんねー」と断念せざるを得ないのは、こうした
犯人捜しをいくらしたって、ネオコン的な風潮を、誰も変えられないことが「分かっ
て」いるからだと思う。
もちろん、「評論家」や「学者」さん達は、「俺の言うとおりにすればいい」と
言うのだろうが、では、その「評論家」や「学者」の思考様式を「規定」している
「デプス」を「正しい」「善きもの」だと信じる根拠はどこにあるのだろうか?
そんなことを考えてくると、頭が混乱してくるので、一方でネオコン的な思考様式
に同調して、安くて旨い製品を買い求めつつ、他方で地元生活圏を大切にする思考
様式に同調して、「町の景観や治安を守れー」なんて言ったりする。
「市民」や「大衆」って、もっと「したたか」だと思うよ。