私にとっての「ジェイ」
先週の文化系トークラジオLifeのテーマは、「J」だった。
僕にとっての「J」とは、村上春樹の初期三部作に出てくる「ジェイ」である。
村上春樹が生み出したキャラクターの中でも、もっとも魅力的な一人である「ジェイ」。
その魅力がぞんぶんに出ている場面は、『羊をめぐる冒険』(下)の最後の場面だと思う。
「鼠」探しの旅が終わりを告げ、まとまった金額を手に入れた「僕」は、
「ジェイ」のバーの改装資金を援助するために、それを「ジェイ」に渡す。
受け取りをしぶる「ジェイ」に、「僕」はこう告げる。
≪いいさ、そのかわり僕と鼠に何か困ったことが起きたらその時はここに迎え入れてほしいんだ≫
「ジェイ」の存在とは、まさにこの「僕」の一言に集約されている。
つまり、「何か困ったことが起きたら」「迎え入れて」くれる存在。それが「ジェイ」だ。
グローバリズムの進展は、今後ますます格差を拡大していくだろう。そうしたときに、
国民国家(=「J」)にできることは何か?「何か困ったことが起きたら」「迎え入れて」くれる
ことではないか?