私のホンネ
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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「はじめに」の部分で、おもしろいことが書いてある。引用する。
≪「本音」が「保守的な言説」という相対化を免れ、「保守的な
言説」が「本音」の代弁者として振る舞うようになる。それが
「保守化」ということの意味だ。≫(15p)
大学受験国語の問題だった、傍線でも引かれて、「この文章の意味は
なにか?分かりやすく説明せよ」とでも書かれそうな文章だ。
まぁ、それはよいとして、この文章には、石原先生の立場が明瞭に
表れている。どういうことか?
石原先生が書いた『教養としての大学受験国語』という書物は、
高校生の私にとって鏡のようなものとして機能していた。
自分が抱いている「偏見」や「常識」が書き込まれていて、
「あなたが持っている「女性」や「身体」というのは、ある特定の
時代のものの見方でしかないんですよ」ということを教えられたのだ。
それは、「ことば」を通して「自分」を徹底的に相対化するきっかけ
となった。
それ以来、私は自分がどんな「偏見」や「常識」に捕らわれているか
が知りたくて、文学部に入り(この辺はちょっと誤解があったけど)
学問を通じて「自分」を相対化する訓練をしてきた。
ここで引用した文章に戻るが、石原先生が「本音」と呼ぶのは、
例えば「女性はご飯を作って、洗濯をして、つまり家事育児を
するのが当然だ」と思いこんでいた時の私である。
これが私の「本音」である。否定する気は毛頭ない。
生まれたときから高校生の時までそう思ってきたし、その思いこみが
母親を、ある部分では苦しめてきた。「満足な」食事を作ってくれない
時は、「母親として失格」なんじゃないかと、傲慢にも思ってきた。
このような≪「本音」が「保守的な言説」という相対化を免れ≫る
とはどういうことか?
「保守的な言説」とはこの場合、否定的なニュアンスで使われている。
誰もが抱いていたはずの「本音」を、直接に「保守的だ!」と言われるの
は、いい感じではない。だから、それが「本音」であることを隠したまま、
「おまえだってそういう『本音』を持っていたんじゃないの?」という
つっこみを入れられる前に、「そんな保守的なこと言ってちゃだめじゃない」
と先手を打ち、自分を守っている。そういうことだろう。
でも、それは知性とはほど遠い態度であると思う。
私が石原先生の書物から一貫して受け取ってきたメッセージは、
「本音」を持って生きてきたのはしょうがない。でも、それを相対化して
普遍的なところに位置づけ、自分なりに思考できるようになるのが知性だ、
というものだ。これは、あながち間違いではないと思う。
今回の『百年前の私たち』も、そのような書物である。石原先生は
「はじめに」の最後に、この本を自分が「大衆」であるという自覚を持つ
人に読んでほしいと記している。自分の中にある「大衆」的なところを、
過去の「大衆」という鏡に照らして眺めることで、自分の「大衆」性に
気づき、あらためて自分を見つめ直すきっかけとしたい。
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/07/01
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