こころの教育は、自由を阻害するか?
いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――
- 作者: 内藤朝雄
- 出版社/メーカー: 双風舎
- 発売日: 2007/02/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「情熱的な教育」によって、すこしでも前向きでやる気に満ちあふれる
「若者」が出てきた方がいいような気がする。
それが、来春から某予備校に就職する私の想いである。
内藤さんは、≪やる気のない人間もきちんと人間としての尊厳を
抱ける社会を構想すべきである≫と述べている。その通りだと思う。
と同時に、なんだか私の周りの友人を見ていると、なんだか
やる気がなさすぎる。なんか、こう、ガツガツした人間がいないのだ。
私は自分の周りに限って言えば、それで「いい」と思っている。
立花隆が日本の「若者」の能力の低下を深刻に嘆いている文章が注目
を集めているが、その「若者」たちは、基本的にやる気がない。
経済競争を生き抜こう、勝ち抜こうなんて野心のかけらもない。
そういう人間が大人になって、「この国の未来」を背負っていく
ことを立花隆は憂いているが、別に問題ないんじゃないか?
金?そんなのどうでもいいじゃん?
大企業?とっとと海外にでも出てってください。
私たち、勝手に地味にやってきますんで。
こんな「若者」たちであふれかえれば、日本は今よりよくなるだろう。
とまぁ、半ば冗談です。経済界トップの価値観で言えば、、
グローバル化した経済市場で生き残ることが市場の価値なのだろうが、
はっきり言って、そんなの全然魅力的ではない。
毎日細々とでも、「まったり」暮らしていければいい。
肉もいらない。酒もいらない。
最低限の水と食料だけでいい。
米は日本で作ろう。野菜は畑で育てよう。
山を大事にし、水を確保し、のどを潤そう。
それぐらいがちょうどいい。っていうか、それじゃ生きていけないのか?
日本もそろそろインドや中国にアジアの将来を託し、
「老後の余生」の過ごし方を考え始めるべきではないか?