こころの教育は、自由を阻害するか?

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

 あんまり無気力な「若者」を大量生産するより、

「情熱的な教育」によって、すこしでも前向きでやる気に満ちあふれる

「若者」が出てきた方がいいような気がする。

それが、来春から某予備校に就職する私の想いである。


 内藤さんは、≪やる気のない人間もきちんと人間としての尊厳を

抱ける社会を構想すべきである≫と述べている。その通りだと思う。

 と同時に、なんだか私の周りの友人を見ていると、なんだか

やる気がなさすぎる。なんか、こう、ガツガツした人間がいないのだ。

 私は自分の周りに限って言えば、それで「いい」と思っている。

立花隆が日本の「若者」の能力の低下を深刻に嘆いている文章が注目

を集めているが、その「若者」たちは、基本的にやる気がない。

経済競争を生き抜こう、勝ち抜こうなんて野心のかけらもない。

そういう人間が大人になって、「この国の未来」を背負っていく

ことを立花隆は憂いているが、別に問題ないんじゃないか?

 金?そんなのどうでもいいじゃん?

 大企業?とっとと海外にでも出てってください。

 私たち、勝手に地味にやってきますんで。

 こんな「若者」たちであふれかえれば、日本は今よりよくなるだろう。

 とまぁ、半ば冗談です。経済界トップの価値観で言えば、、

グローバル化した経済市場で生き残ることが市場の価値なのだろうが、

はっきり言って、そんなの全然魅力的ではない。

毎日細々とでも、「まったり」暮らしていければいい。

肉もいらない。酒もいらない。

最低限の水と食料だけでいい。

米は日本で作ろう。野菜は畑で育てよう。

山を大事にし、水を確保し、のどを潤そう。

それぐらいがちょうどいい。っていうか、それじゃ生きていけないのか?

 日本もそろそろインドや中国にアジアの将来を託し、

「老後の余生」の過ごし方を考え始めるべきではないか?