動物は物語を文字から想像的に構築できるか
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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第1章までの議論で、考えたところを述べると以下のようになる。
「ワンフレーズ・ポリティクス」なる言葉をよく耳にする。小泉元首相が在任時に
言われていたことで、例えば「自民党をぶっ壊す」とか何とか言っておいて、まぁ実
「ぶっ壊」れてなんていないのだけれど、とにかく分かりやすいからそれに飛びつく
ということだ。
小泉元首相が実際に行った政策の中身を具体的に詳しく検証する能力もない、
また検証するのが面倒くさいから、「自民党?天下りだとかなんだとか、
とにかく利権の巣窟みたいなところでしょ?それをぶっ壊すっていってる
ぐらいだから、凄いんじゃない?ほら、『抵抗勢力』がいるってことは、
小泉さんのやっていることが、正しいからでしょ?なら、支持
しようじゃない」という感じになる。
小泉元首相の≪キャラ≫は、かなり分かりやすい。ガチガチに古い
価値観に凝り固まった体制に、一人挑む挑戦者(改革者)。そうした
人間が、新しい価値観を打ち立て、事態を打開する。ありふれた物語だ。
問題は、テレビや漫画で流される物語を多くが、結果的に必ず
「事態を打開してしまう」ことだと思う。勧善懲悪の物語に
なれきった私たちは、突然現れたド素人に近い新参者が、
古い体制を前にして敗れ去ってしまうことを好まない。
また、このド素人ってところがくせ者で、「われわれ」に近い
存在に描かれているから、始末に負えない。ド素人は常に「善」であり、
古い体制は「悪」であるという構図を、子供の時からすり込まれてきた
私たちは、そのド素人が最終的に古い=悪しき体制を打破し、
輝かしい未来をもたらしてくれることを「知っている」。
ん?「知っている」?
いや、「知らねぇー」って?
いやいや、「みんな」「知っている」んですよ。実は。
その「知っている」物語の構図に、小泉首相という「キャラ」を当てはめて
できあがったのが、小泉首相による一連の「改革」の顛末だった。
こう考えると、案外すっきりすると思う。
小泉首相の「キャラ」が、勧善懲悪の物語、すなわち、
ド素人が古い体制を打破し、輝かしい未来をもたらすはずだという物語を
必然的に招き寄せた。
ホントか?