『世田谷一家殺人事件』『麻原死刑でOKか?』ノート

世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白

世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白

○命題
繁栄にゴザをかく日本に傷をつける
《オレたちをこの日本で、奴隷のように働かせる首謀者》

○動機
金+日本への憧憬と憎悪、劣等感

○境遇
寒い炭鉱での過酷な労働→希望が絶望に変化

○クリミナル・グループ
★金稼ぎを目的として、離合集散を繰り返す
★仲間内での賞賛を得る→リーダーとして、稼ぎ頭となる

「感想」
 昨日読んだ細木数子の外国人バージョンだな、これは。
ろくに学校にも行かず(行けず)、貧しい子供時代を送った細木は、
金を稼ぎ、自己顕示するしか、自らのアイデンティティーを誇示することができなかったのだろう。

 というより、学歴社会からドロップアウトした「成功者」の多くが、
学校に行かなくたってこんなに立派に俺は(私は)生きているぞと言うとき、
イコール金銭的な成功のことをいっていることは、
結局金を稼ぐことでしか、世間を見下すことができないという、
身も蓋もない事実が露呈しているように思う。

 受験勉強から逃げていた高校時代、『マネーの虎』というテレビ番組を見ていて。
学歴社会からドロップアウトした社長の多くが、
「学歴なんて関係ない。要するに稼げるかどうかなんだ」という価値観を、
臆面も無く表明していることに驚いたものだ。

 結局学歴社会から落ちこぼれたら、稼いで見返すしかないという事実に打ちのめされ、
それからは「こりゃ勉強するしかないな」と思い返せればよかったのだが…。

「麻原死刑」でOKか?

「麻原死刑」でOKか?

○世論に媚びる権力者達
 なんだか、「お客様は神様です」みたいな、消費社会的なマインドを感じる。
要は、民衆(=客)は何を言っても許される、みたいな風潮を作ってきたのがいけないのかもしれない。

 学歴社会問題にも通じると思うのだが、
役人が世間に対して、あれほど卑屈に振舞うのは、
受験秀才に対する世間の劣等感を緩和するのに、非常に大きな役割を果たしてきた。
つまり、「私達は単に頭がいいだけで、それ以外は皆さんとなんらかわりのない人間なのです。
ですから、悪いところがあったらどんどんおっしゃって下さい」みたいな態度をとってきた結果、
社会的に、なんら有効なこともできなかった民衆は、「しょうがねぇなーやつらだよなぁ」と、
溜飲をおろすことができたのだ。

 ところがどっこい、いまや民衆は調子に乗りすぎている。
私がその1人なんだから、間違いない。
 テレビではよく、「国民から税金を集めている官僚の腐敗」を、自明の悪として告発しているが、
これが一番よくない。同じぐらいの程度で、「っていうかテレビの前のみんな。胸に手を当てて、
よーく考えてごらん。君たちだって、こいつらに負けず劣らずひどいことやってるはずだぞ」
と言ってやらないといけないはずなのだ。

 視聴者は「善」という構図を死守するのは、視聴率をとるにはしょうがないことなんだろうけど、
視聴者を思いっきり不快にさせる番組が、一日一本流されたって、いいんじゃないか?