偶像の破壊〜森達也の試み


 

 森達也ドキュメンタリーは嘘をつく』は、
役者森達也による、「森達也」という偶像の破壊の試みであったといえるだろう。

 これまで森さんの一連の著作を読んできた私の、「森達也」という人物に対する印象は、
基本的に「良い(善い)人」であり続けていた。
 普段人が無視したり、目を背けてしまう問題に対して、目をそらさず真っ向から向かっていく姿勢は、
この世の「正しさ(善きこと)」とは何かを追い求める、「正義の人」として、私の目には映っていた。

 一方この『ドキュメンタリーは嘘をつく』では、いい加減でぶっきらぼう森達也が映し出されている。
「社会派、正義の人」という私の「森達也」像からは、想像もつかない「森達也」が、そこにはいる。
 「映像は嘘をつかない」。この命題が正しいとすれば、映像の中の「森達也」こそが〈本当〉の森達也であり、活字から受け取っていた「森達也」の印象は、間違いだったということになる。

 どちらが本当の「森達也」なのか。そう考えながら見ていくと、
最後にその回答が提示されている。
 すなわち、どちらであり、かつどちらでもある、と。

 私達の日常は、カタルシスの連続で成り立っているといってもよい。
どんなに都合の悪いことでも、取りあえずは自分の都合のいいように解釈して済ませてしまうことが多い。
 しかし、森達也はそんなカタルシスを許さない。
 かって視聴者や読者が作り上げた「森達也」像を、徹底的に破壊し、
その破壊したままで番組を終わらせる。
 「俺はよい人とか、悪い人とか、そんな単純な人格像を当てはめられたくない!」
そんな森達也の声が、映像の隅々から聞こえてくるかのようだ。