内田樹『下流志向』

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

 内田樹著『下流志向』で批判的に描かれる「生徒」=「消費者」像。

「学び」を通じて自己が変化してしまうことを忌避する態度が、

生徒が自らを消費者として規定しているから起こることだという指摘は、

なるほどそうかと思わせもするけれど、ある程度の補足が必要だと思う。

 『TBSRADIO LIFE』において、仕事の上で重要なのは、

各個人が「縦軸」を持つことだといっていた。この「縦軸」とは、

変化し続ける自分を眺めている自己、ぐらいに私は解釈しているが、

要するに、「学び」を通じて変化するのは当然だが、

その変化を実感できる確たる主体を持つべきだ、ということだろう。

 ところで、『TBSRADIO LIFE』で、charlieがこんなことを言っていた。

charlieは転校した際いじめに会い、あらためて高校で人間関係をリセットすることで、

高校デビューを果たした、と。恐らく、多くの方が経験したことがあると思う。

ここで大切なのは、中高生ぐらいで「いじめ」という、全人格を否定されるような経験をした

生徒というのは、その自己を再び肯定してくれるような機会が必ず必要であるということだ。

 かくいう私もいじめられ組なのであるが、高校デビュー出来なかったおかげで、

中学のいじめ体験をその後もずるずるとひきずり、今になっても自分を肯定できていないのだ。

もちろんそれはトラウマとなり、それ以来自分を変化させることに対して、なんとなくその機会を

避けるようになっている。それというのも、「一度くらい、私を肯定してよ。そうすれば、

その肯定してもらった自己を核にして、変化への一歩を踏み出すから」という意識が抜けないためだ。

 つまりこういうことだ。内田の『下流志向』に欠けている視点は、

子供には、自分を肯定してもらった経験が必要だということ。

もちろん、そのことを鼻にかけて、どんどん生意気になるような生徒もいるだろう。

しかし、そういう奴はたいてい、もっともっと認められたいと思って、社会に出て行くと思う。

そして、そこで社会的に意味ある活動に従事すると思う。

 全能感ではなく肯定感。それを養うことから、教育を見直す姿勢も大事では?