80年後のレモン〜阿部和重『ミステリアスセッティング』

 これは現代版『檸檬』だな、というのが読後の感想です。

 梶井基次郎の『檸檬』において主人公は、落第を繰り返した末、当時の「知」の中心であった

丸善を、レモンを爆弾に見立てて爆破する妄想を抱きます。

 阿部和重の『ミステリアスセッティング』は、人に騙され、うざったがられている〈シオリ〉が、

「政治」の中心である国会議事堂を、スーツケースを核に見立てて爆破するという筋書きです。

 二つの作品は、「知」の世界や「社会」に参加したいのに、また、参加せよという圧力が周囲からかけられているのに、

その参加しようとしている対象が、自分自身を受け入れてくれないことに苛立ちを覚えているという点において

共通しています。

 現代の若者は、社会に対する同調圧力を、よりいっそう受ける立場にあります。教育基本法の改正に始まり、

「フリーター」や「ニート」として生きるのではなく、もっと社会に出ろ!といわれます。

日本という国家、社会で働くことに、それほど意味がないようにも思われる現在、

それでも共同体の圧力というのは大きい。

 しかし、参加しようとしても拒絶されてしまいます。

 お前なんかいらん!と門前払いを食わされてしまう。

 これじゃあしょうがない。爆破してやるしかないよ。

 爆破したって何も変わらないかもしれない。しかし、全てがなくなってしまえば、幸福も不幸も、

その観念すらふっとばせる。ひたすら無が支配する空間。

 自殺が蔓延するのも、けだし当然といえるのではないでしょうか。「勝ち組」やら「負け組」という

価値観が、今後数年はなくなることは無いでしょう。そんな世界から抜け出すにはもはや、全てが

爆破されること夢想するか、自発的に世界から退場するしか、残された道は無いのかもしれません。