明日は「待っている」か

 今朝の鳥越さんの朝日の記事を読んで感じる違和感を一言で言えば、

明日が「待っている」という考えは、もう通用しないのではないか、ということだ。

 〈いじめられている君〉は、今ある社会で〈いじめられている〉のに、その社会の中で

「希望」を見つけろというのは、なんだかむなしいと思う。

 それよりこう言うべきではないだろうか?

 いじめがあるような社会に受け入れられようとか、そこに自分の居場所があるはずだ、

なんて思うな。今の社会は、老人が万引きする姿すらニュースで放映して、面白がっているような、

ひどい社会だ。

 こんな社会は、自分達の住み良いように変えてやる!それぐらいの強い思いを持って欲しい。

こんな言葉が聞かれるようになれば、もっといい社会になるだろうなぁ。