muffdivingさんの文章へのささやかな回答

 以下で色々と書かれている。

 http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20060711/1152624584
 
 私に関する箇所は、いちいち「もっともだ」と思うと同時に、でもなんだか分からないところもあるので、ここで疑問・反論を述べておきたい。

 1.「こういうバカが多くなったからわかりやすい文章が要求されるようになったと思う。」

 方向が逆である。「バカが多くなったからわかりやすい文章が要求されるように」なったというより、「分かりやすい」言葉で「分かりやすい」文章がかかれるようになった結果として、「分かりやすい」言葉でしか思考できない私のような「バカ」が跋扈し、こうして「キチガイ」のような文章を垂れ流すようになってしまったのだと思う。
 そして、私が思うのは、そうした「分かりやすい」文章が生み出した私のような「キチガイ」が、たとえ間違ったことをいったとしても、それを許容するだけの「鷹揚さ」みたいなものを示すのが筋ではないか?ということだ。
 「分かりやすい」文章を読んだ人間が、そこから自ら勉強して言って、複雑な思考を自分で整理できるだけの頭を獲得できる可能性は極めてまれである。たいていは「分かりやすさ」の中で思考し、それを自分の「オリジナル」であるかのように錯覚してしまうことで、「垂れ流し」的文章がはびこってしまうのではないか?
 石川忠司も指摘するように(『現代小説のレッスン』)、日本語は「ペラい」のであって、その中でもさらに「ペラい」(「分かりやすい」)言葉を使ってかいているのだから、「キチガイ」染みた文章になってしまうのもしょうがないのかな、と開き直っております。
 そして、そうした風土を生み出したのは、間違いなくこれまでの出版文化および言論状況なのだから、それにmuffdivingさんのように憤ってもしょうがないのではないでしょうか?まぁ、「バカ」叩きというのも、必要なことではあるのでしょうが

 2.「少なくともSE向きの思考ではねえな。」

 一体どういう文脈でこの言葉が出てきたのでしょう。
 私はSEでもなければ、SEになりたいとも思っておりません。いきなり意味不明な文章が挟まれていたので、一応指摘しておきます。

 3.「「分かりにくい」事象を「わかりやすく」すること自体相当その事象に精通してないと無理な話だが。まあ、テメエの頭の中でマスかいてるだけだったらそれでもいいんだが。「分かりにくい」事象を「わかりやすく」説明できるかどうかが言論やる奴のスキルだと思うんですが。」

 「分かりにくい」事象に精通していたとしても、「分かりやすく」書けるとは限らない。これは当然のこととして、では「分かりにくい」事象を「分かりやすく」してしまうのは何故なのでしょう?それが「読者」に求められているから?
 「分かりやす」く書かれた文章から、さらに自分にとって「分かりやすい」言葉を選択的に読み、そしてその「分かりやすい」言葉を使って中途半端な思考をしてしまうような私は、確かに「テメエの頭の中でマスかいているだけ」なのかもしれないし、そういわれてみると確かにそうだなぁ、と思います。
 特に「テメエの頭の中でマスかいているだけ」なんてはっきりと書かれると、「そうそう」と思わず膝を打ちたくなるぐらいです。これからは、そうした醜態をさらさないよう、気をつけたいと思います。
 しかし、多かれ少なかれ人間の思考というのは、「テメエの頭の中でマスかいているだけ」のような気もします。特に大学の授業を聞いていると、大学教授の「マスターベーション」のような感じを良く受けます。ほんと自己満足で授業やってんだなーって感じです。
 ただ、私が文章をこうして書くのも、いかに自分が「頭の中でマスかいている」のかを検証するためであり、そうした意味で、「マスかく」ために文章を書いている人間に対して、「マスかくな」といってもあまり生産的でなく、どういう風に「マスかい」ているのかを指摘してくださるのが、私にとっては有用であります。

 4.小谷野信者ではありません。

 私は小谷野敦が自分の著書で、『ブレンダと呼ばれた少年』に盛んに言及していることだけを支持しているのであって、「小谷野信者」でもなんでもないので誤解なきように。
 小倉著『セックス神話解体新書』は、いまなお学生の間でも読まれており、ということは、他の多くの文章に比べて圧倒的にレポートや発表などで引用・参照される可能性が高いということです。「学者」が書いた文章というのは、いつまでも残ってしまうがゆえに、書いた本人の責任も甚大です。
 小倉著の文章の影響力を考えれば、それが他の文章より人の目に触れやすいという意味で、例えば「注」のような形で『ブレンダ』に言及されてでもあれば、(怠惰であることは承知で言いますが)読者に対して親切なのではないでしょうか?「そんなやつまで相手にしてられるか!」と思われるかもしれませんが、「分かりやすさ」を求める「大衆」としては、もっと「分かりやすく」して欲しいんですよねぇ。

 5.「真性」ではありません。

 「仮性」です。

 「マス」かき野郎のボヤキだと思って読み流してください。