村上春樹の短編を再読する

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女

村上春樹さんの短編を、久しぶりに読み返してみて感じるのは、

「自分に身に降りかかってきた、どうしようもない・理不尽な出来事を、それでも抱えていきていかなければならないとき、人はどのような態度をとり得るか」

ということです。


たとえば、「バースデイ・ガール」という短編では、20歳の誕生日にかけられた一言が、その後の運命を変えてしまうことを描いています。

また、「スパゲティーの年に」という短編では、「スパゲティーをゆでているから、電話を切らなければならない」という嘘をつくことで、スパゲティーを食べるたびに嘘をついた相手のこと、そしてその年を思い出します。

私はとてもこうした描写に惹かれます。

「こうした描写」というのは、以下のようなことです。

①「その年」は、大量のパスタを茹で、食べていた。

②ある女性から電話がかかってきた。

③めんどうにかかわりあいたくなかった僕は、「スパゲティーを作っているから」と嘘をついて電話を切った。

④嘘をつかず、正直に彼女に事実を伝えればいいのではないかと悩んだ。

⑤それ以来、スパゲティーを食べると、当時のことを思い出す。

「スパゲティー」というのは隠喩で、つまり「彼女」の表象です。

彼女を不幸にしてしまったのではないか、という後悔を抱えたまま生きていくことが、彼にとっての倫理です。

しかしどうしようもない。

起きてしまった。

それを抱えて、今も生きている。