小沢健二

小沢健二の印象は?」と聞かれて、僕の頭に思い浮かぶのは、まずこのCМ。

カローラツーに乗ってー。買い物に出かけたら、財布ないのに気づいて、そのままドライブー」
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…」という平家物語の冒頭をそらんじるかの如く口からすらすらと流れ出てくるのは、当時CМに合わせて幾度となく口ずさんだからでしょう。

さて、小沢健二です
なぜ小沢健二について言及したくなったのかといえば、どうやら次回の<文化系トークラジオ Life>のお題が、小沢健二になる可能性があるからです。(って、ラジオの中で言ってました)

小沢健二がテレビによく出ていた当時、僕は中学生になったばかりでした。
J−POP全盛の時代に、小沢健二の存在が「異質」なものであったことを覚えています。

あのときは、ほかにどんなアーティストが活躍していたでしょう。
思いつくままに挙げてみると、Mr.Children安室奈美恵、…。

こういう時、すらすらと出てくるのが普通なのかもしれないけれど、いま瞬時に思いついたのは、この2組のアーティストだけ。あんなに熱心にJ−POPを聞いていたはずなのに、今思い返せばこんなにも思い出せないものかと正直驚いています。(Mr.Children安室奈美恵が、90年代前半に大活躍した後、一度沈黙の時間を過ごしたことの背景は置いておく。)

Mr.Children安室奈美恵の「カッコよさ」に比して、小沢健二はなんだかカッコ悪く見えた。
汗をかいて必死に歌う、ちょっと賢いシティーボーイ。
こぶしを握り締めて力いっぱい歌う好青年。
頭がいいだけが売りの一発屋

正直、上記のような印象は、今も変わりません。
歌詞の内容や、それ以前の音楽活動のことなど何も知らず、「どうせ早晩消えていくだろう」と鼻にもかけていなかったことを、正直に告白しておきたいと思います。

当時のことを考えれば、小沢健二のほかにも聞くべきアーティストは沢山いたし、小沢健二が学校での話題になることなど、まずありませんでした。「ネタ」として使えないという、身も蓋もない事情から、私にとって小沢健二が重要なアーティストだったことは、ただの一度もありません。

そんな小沢健二を今、なぜ語るのかと言えば、90年代に青春を過ごしたある種の人々にとって、小沢健二はとびきり重要なアーティストであったようなのです。

それならば、私自身の「無意識」を形成した90年代に、小沢健二がどんな役割を果たしたのかを整理しておくことは、無駄ではないだろうと思うのです。

僕は一つの仮説を持っています。

「小学生の3年生ぐらいから中学3年生ぐらいまでの間に触れたものが、自分自身の無意識を形成する」

小沢健二は、私の無意識形成にどんな影響をもたらしたのでしょうか。


できれば、現在25・26歳ぐらいの人がいたら、一緒に考えてみてほしいと思います。

あなたにとって、小沢健二とはどんな存在でしょうか?