「鬼束ちひろ」の話題を軸に、最近は、
ブログを更新することが多くなっており、
それは、自分にとって、嬉しいことでもあり、
また、悲しいことでもある。
悲しみの原因を一言で言えば、
私自身が、現在抱えている不安と、
それを、「鬼束ちひろ」という存在に仮託してしまっている、
自分自身の卑劣さによっている。
どうして「鬼束ちひろ」は、<不安><悲しみ><絶望>という言葉で、語られることを選んだのだろう?
もちろん、彼女自身は、そんな気は無かったと思う。
けれど、結果として、彼女は「そう」なってしまった。
好むと好まざるとに関わらず、ある立ち位置を占めてしまう人というのはいる。