詩人の声を聴く
「人間」として生きることを宿命づけられた、最も不幸な「詩人」
彼女のように、詩という表現手段を得たなら、まだいいのかもしれない。
いくら苦しくても、言葉にならない声を抱えている子どもたちが、沢山いる。
そんな声なき「声」を、今日も僕は、聴き続けている。
その声は、時にあまりに切実で、かつ重いため、
時に耐えきれなくなることがあり、いっそ逃げ出したくなる。
逃げ出す前に踏みとどまれているのは、鬼束ちひろというアーティストのおかげ
でもあり、かつまた、目の前にいる子どもたちの、視線でもあったりする。
鬼束ちひろに出会ってから、早7年が経過している。
その間、数多のアーティストの楽曲を耳にし、心動かされてきたが、
鬼束ちひろほど、字僕の心を揺さぶり続けているアーティストは、他にいない。
暗闇の中に一艘のボートを浮かべ、右も左も分からない状態を想い浮かべて見る。
どこに向かっていいのか不安を抱えていると、遠くの方に、小さな灯りがともっている
いるのが見える。
だがしかし、僕はそこに向かってボートをこぎ出したりはしない。
大切なのは、そこに灯りがともっているという事実なのだ。
そこになに(鬼束ちひろ)があるのかは分かっている。
しかし、助けを求めるには、あまりにも危険だ。
世の中には、助けを求めてはならないという人がいると思う。
しかし、その人がいるということが、自分自身の存在を、
根底から支えてくれている。
私は鬼束ちひろに何も望まない。
ただ彼女が生きている、という事実だけが重要だ。
それによって、自分が肯定されているような気がする。
社会人になっても、
いまだ社会に受け入れられず、疎外感をずっと抱き続けている。
それでもなんとか開き直って社会生活を続けていられるのは、
他ならぬ彼女のおかげだと、一人思うことがある。