神なき世界の「神」とは、いかなる存在か?
『Death note』(以下『デス』)読了。
『風の谷のナウシカ』(以下『風』)のマンガ版を読んだときのことを
思い出した。
『風』を読んだとき、宮崎駿が『風』に込めた
思想的な「深さ」については何一つ理解できなかったが、
「愚民」に絶望して「悪」に成り下がったキャラクターについては、
なんとなく「分かった」気になってしまった。
何が「分かった」かと言えば、
「俺がこんなに正しいこと言っていて、実行しようとしてんのに、
どうしてお前らは分からないんだ」ということだ。
『風』を読んだのは高校生の時だが、子ども臭い正義感からか、
自分の考えこそが、この世で唯一絶対正しいのだと思いこんでいたのだろう。
そんな私にとって、「正しい」ことをしようとした皇帝が、
それを理解してくれない「大衆」を、「愚民」として蔑視し、
やがては「悪」の側に回ってしまうという構図は、単純だからこそ、
「分かりやすく」「腑に落ちる」ものだった。
『デス』においてもこの構図は反復されている。
最後に夜神月が吐く台詞こそがそれだ。
彼ぐらいの「天才」で、子どもの頃から「お前は正しいことをやっている」
といわれ続けていれば、「自分こそが絶対で、それを阻止する人間が間違って
いる」と考えても不思議ではない。いや、私なら絶対、自分こそが
正しいと思うだろう。