信頼

 文化系トークラジオ Life「運動」の回を聴き終わりました。

 「運動」を現に主導している二人の話を聞いていて感じたのは、

それまでの経緯は色々とあったにせよ、今実際に「運動」が「出来てしまっている」

ということから、自分の行動への自信が生まれていて、それが、「運動」とは

無縁の人に伝わりにくいのではないかということです。

 「運動」に限らず、能動性が要求される行為には、その行為が成就するという

確信がなければ、あえてそれをするだけの労力を発揮しようという気は起こらない

でしょう。

 一般的な「市民」には、その確信が極めて不足しています。何かをやって、

それを成し遂げることができると信じることが出来るなら、はっきり言って

「運動」なんてやらずに、真面目に勉強して官僚にでもなった方が、「割に合う」

と感じるのではないでしょうか?

 つまり、「自信」=なにかをやれば、それに対する報いが必ずある)ことへの

確信の問題なのです。大抵のことは、これで説明がついてしまうのではないで

しょうか?

 日々予備校で生徒と接していて感じるのは、この「成功への確信」があるか

ないかで、合格するかしないかが決まってしまうということです。口では

「俺/私は大丈夫」といっている生徒でも、「現実」に直面するのを嫌がり

ます。模擬試験などで「あり得ない」点数をとっても、その「現実」を直視

せず、「見ないふり」をしてやり過ごそうとします。

 こうした違いはどこから出てくるのか?