羨望
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文化系トークラジオ Lifeの公開放送を通勤中に少しずつ聞いている。
質疑応答の回(Part4)の冒頭、「間違って」文化系にはまってしまい、
「勘違いしたまま」文科系の大学院に入ってしまい、
「正常な」社会生活を送れないメンタリティーを身につけてしまった
悲哀(?)をぶつけていた≪鮭缶以下略≫さんの言葉が印象的だった。
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わたしも一時それに近い状態に陥ったので、≪鮭缶以下略≫さんの
気持ちが痛いほどよく分かる。
大学に入学するまで「文化系資本」に触れたことがなかったわたしのような
人間は、「文化系」学者が書いた「入門書」に、その学者が高校生や中学生
の頃から、いかに「文化系資本」に囲まれて生きてきたかに関するエピソード
が書いてあるのを読み、羨ましさと同時に圧倒される思いを抱いたものだ。
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岩波書店が発行している『図書』に、大澤真幸が以下のような文章を寄せている。
これを読んだのも高校1年である。尊敬していた先生が主催していた研究会
に参加していたのだが、先生の提案で、皆で「共産党宣言」を英訳で読んだ
のであった。そのとき、脇において参照させてもらった邦訳が、岩波文庫版
であった。(『図書』16p)
高校1年の時に、≪『共産党宣言』を英訳で読≫めるなんて!
少なくとも、どんな「努力」をしても、≪『共産党宣言』を英訳で読む≫ような
環境を、自分の手で作り出すことはできない。これこそ、文化系的な意味での、
「文化系資本」に囲まれた環境と言うべきだろう。