村上春樹の物語
アンダーグラウンド以後の村上春樹は変わった。
よく言われるが、では一体なにが変わったのか?
村上春樹の作品は、世界的に読まれている。
何故読まれているのか?という疑問には、いろいろな答えがあるだろうが、
よく言われているのは、コンテクストに依存しないということだ。
つまり、アメリカだろうが上海だろうが、どこの都市に移し変えても、
物語として違和感を感じないということだ。
村上春樹の「物語」の要点は、ここにあると思う。
オウム事件で村上春樹が得た教訓は、
麻原が提示したきわめてローカルな、ジャンクな物語を
無批判に享受した信者、および享受しそうな人たちに対して、
そうしたローカルな、狭い共同性に閉じこもることなく、
より広い世界に目が開くようしなければならない、
ということではないだろうか?
だから村上春樹は「世界」で読まれるのだ。
現在はグローバリズムで世界が一つになるのとは裏腹に、
よりローカルな(土着的な)方向に向かっている。
ナショナリズム的な言説がはびこるのもその一例だ。
そんな中、村上春樹の小説は、そんなローカルに向かう世界に、
その外には広い世界があるんだということを知らせてくれる。
経済的発展がある程度成功した国で、
ナショナリズム的言説になんとなく息苦しい思いをしている人々にとって、
そんな息苦しさを解消してくれる小説として、
村上春樹の文学はある。