石原千秋先生の新刊

『あの作家の隠れた名作』(PHP新書

あの作家の隠れた名作 (PHP新書)

あの作家の隠れた名作 (PHP新書)

以前に出た『名作の書き出し』(光文社新書)に近いコンセプトの書籍。
しかし、中身から受ける印象は、180度違う。

「名作」と「傑作」の違いはどこにあるのか。
『あの作家の隠れた名作』の中で石原先生は、このように述べています。

<「傑作」という評価と「名作」という評価はどう違うのだろうか。微妙な違いのような気もするが、「傑作」は高い評価がある程度社会的に公認された小説に与えられる呼び方で、「名作」はもう少し自由に使える言葉のように思う。・・・。
 また「代表作」と言われるほどの小説は「名作」という評価があるだろうが、「名作」は必ずしも「代表作」でなくてもいい。つまりは、「名作」という評価には読者の好みが入っているということだ>

 私が『名作の書き出し』の時に感じた「読みにくさ」は、石原先生が『あの作家の隠れた名作』で定義した「名作」という語と、そこで実際に選ばれている小説の齟齬から来るのではないかと思います。
 つまり、『名作の書き出し』で扱われる「名作」小説は、「傑作」や「代表作」と世間で認知されている小説であり、<「名作」という評価には読者の好みが入っている>とは言いながら、石原先生の好みは入っていないのではないか。それ故に、作品を語るときの熱が若干引いているような印象をうけました。

 一転今回の『あの作家の隠れた名作』で扱われている小説は、まさに「名作」と呼ぶに相応しく、石原先生の筆致からも、先生自身が小説を愉しんでいる様子が十分に伝わってきます。<これらを「名作」にするのは読者である。僕の読み方がこれらの小説を「名作」に仕立て上げられるかどうか、そんなことに挑戦してみた。「こんな風に読んでみればなるほどおもしろい」と思ってくれる読者がいれば嬉しい。そして、「私も自分の「名作」作りをしてみよう」と思い立つ読者がいればもっと嬉しい>

石原先生の名作作りの中で、一番印象に残ったのは尾崎翠を論じた末尾の箇所。<「あなたはこの小説の「正しい宛先」ですか?」― 『無風地帯から』は、読者にそう問いかけている。この問いが女性作家の小説テクストから発せられたことを知るとき、現代の読者はそこに容易に受け止めることができないような挑発を読むだろう。もし「正しい宛先」だと答えれば、尾崎翠を女性として否定したことになり、「正しい宛先」でないと答えれば、尾崎翠を作家として否定したことになるからだ。この問いは、読者をダブル・バインド状態に宙づりにする。さて、あなたはどう答えますか?>

さあて、どう答えたらいいのでしょうか?