小川勝巳『彼岸の奴隷』

彼岸の奴隷 (角川文庫)

彼岸の奴隷 (角川文庫)

「劇薬小説」なる存在を知ったのは、私が密かに敬愛するDainさんの、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」を「読んだ」を読んだ時のことです。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/11/10_9d87.html


 なぜ「わたし」や「あなた」は「劇薬小説」を読むのでしょうか?
 私はこう考えます。
 
 私が劇薬小説を求めるのは、以下のような時です。
?仕事や日常生活で行ったことに対して、なんらかの「やましさ」を感じている。
?上手い理由や原因を思いつかない。
?人との差別化を図りたい。


 私は、「劇薬小説」を、「楽しみ」のために読むということはありません。「強姦、獣姦、近親相姦。死姦、幼姦」の描写を愉しみたいからという訳ではなく、「劇薬小説」の登場人物の思考をなぞりたいからだと思います。

 もちろん、「劇薬小説」の「劇薬小説」たる所以は、日常的な思考では、およそ理解し得ない描写や思考を愉しむことにあるのでしょう。普通に「こんなこと」や「あんなこと」をやられたら、たまりませんものね。

 しかし、私は、その極端な思考を、自分の思考と重ね合わせたい時があるのです。そして、その「自分の思考と重ね合わせたい時」とは、「自分の行動にやましさや不正」を感じているときです。

 特に意識はしていないのに、「やましさや不正」を感じている時、「劇薬小説」に逃げます。なぜならそこには、人間なら当然「やましさや不正、罪の意識」を感じて当然の行動に対して、(異常な)登場人物なりの理論や考えがあり、その理論や考えを私自身の行動に当てはめて考えることで、「こうした異常な正当化の思考があるんだから、自分自身の行動だって間違っていない」と自分を納得させるのです。

 もちろん、こんな「異常な」動機付けで「劇薬小説」を読む人はいないでしょうが・・・。