快楽に抵抗する

 佐々木敦さんが編集する『エクス・ポ』が届き、早速読み始めました。

そして、そのあまりの読みにくさにイライラしています。

 縦書きの文章があり、横書きの文章があり、

 複数ページ渡って掲載されている文章があり、

 かつ、

 複数ページに渡って掲載されている場合、普通、

 読者に配慮して、文章と文章の繋がりが分かりやすいようにしてあるもの

 ですが、この雑誌の場合、文章の繋がりが分かりにくく、

 前後関係をきちんと確認しながら読まないと、

 次のページをめくったときに、全く関係ない箇所から

 読まされる羽目に陥ったりもするのです。

 また、

 文字が恐ろしく小さく、よくよく目をこらさないと、

 文字が読み取れないという、視力が悪い私のような人間にとっては、

 どう考えても嫌がらせとしか思えない仕打ち。

 さらに、特に鈴木謙介さんの文章に至っては、

 緑の背景に白の文字という、読みにくいことこのうえなさで、

 泣きながら目で文字を追っている状況です。


 こんな読みにくい雑誌『エクス・ポ』ですが、

この雑誌の主旨は、佐々木敦さんの以下の発言に集約されています。

引用させていただきます。(なお、この雑誌には、「ページ」という

概念が崩壊しているので、引用箇所は、実際に雑誌を購入して、

お確かめください。)

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エクス・ポのコンセプトはシンプルです。読みやすさというよく分からない

価値観によって読み得る内容を黙々と減らしてゆき、読者サービスという名目

の手抜きを粛々と遂行しているかに(僕の目には)映る現今の雑誌の文化の

有様に抗って、それとはまったく正反対に、読み手に対して先ず何よりも形式的

/具体的に過剰なる負荷を与え、結構な努力をしなくては文字を追うこともままな

らないにも関わらず、そうして読んだら間違いなく無理して読んだ甲斐があるだ

けの圧倒的な面白さがそこに在る!と断言できるような雑誌

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 つまり、私がつらつらと述べてきたことは、

この雑誌の主旨に沿ったものであり、見事佐々木さんの戦略に

見事はめられた、と言うべきでしょう。

 
 内容の素晴らしさに関しては、例えば鈴木謙介さんの

「うろ覚えJポップ時評」のサブタイトルが、

「終わりしかない日常」と名付けられていることです。


 かつて、永遠に続くと思われた日常の有様をぴたり言い当て、

「終わりなき日常を生きろ」と言い放った宮台真司その人の弟子としての

面目躍如です。

 「終わりなき日常を生きろ」という言葉には、当時中学生だった

私は励まされましたが、実際中→高→大と進学するにつれて、

「まったり」生きるどころか、どんどん憂鬱でつらい人生を送ることに

なった私にとって、宮台さんのことばより、

鈴木さんの「終わりしかない日常」ということばの方が、

むしろしっくりきています。

 「終わりなき日常」を生きるには、

昔→今→未来を連続的に「まったり」生きる「自分」が前提とされていると

私は解釈しますが、「終わりしかない日常」を生きる私にとっては、

そんな「自分」はその日限りで捨て去らなければならない存在です。

翌日目が覚めたとき、「自分」が存続していることに日々驚愕している

自分のような人間が、社会人になって「立派に」業務に努められているのも、

「終わり」が永遠に続くことに、どこか慰められているからでしょう。

疲れてきたので、もう書くのは辞めます。


 『エクス・ポ』。素晴らしすぎます。

 これからも、

 世の中の流れに逆らって、

 読みづらく、不快な雑誌を作り続けてください。

 その「思想」を貫く限り、

 この雑誌を購入しつづけます。