鬼の新曲

あのインタビューはネタですかね?
中には本気で受け取って、
だめになってしまう人がいるのだろうなぁ。
なんか、『完全自殺マニュアル』の時代に戻ってしまったかのようだ。

oni的な言説が許容される時代が再び来た、というのが興味深い。
少なくとも、多くのファンは、彼女の復帰を待っていた。

彼女が活動を自粛せざるを得なかったのは、
彼女の「危うさ」が、
時代の空気になじめなかったからだろう。
(「命を大切に」という空気)

それを許す空間が再び出来つつあるということは、いったいどういうことか?

oniの歌は、ある意味危険だ。
彼女本人が言っているように、
まともな人間は彼女の歌を聴いてはいけない。

それだけoniの歌は強烈で、感染力がある。

以下、新曲の歌詞の一部。

この闇は光だと
言い聞かせた
君が泣くように笑うから
求めるような事は出来ないのを
覚えた

朝と夜の呼吸を
見失った
凍えては火傷しながらも
優しい声で歌い合えるのを
試した

言えるはずもなかった
探してるものはもう無いなんて
うそを付き過ぎて本当になった
この世界で

人は迷子になるということを
抱いて
歩いてゆけるから
どうぞ手を離して
何度傷跡が消えても
繰り返す まるで 過ちのように
ああ僕等バラ色の日々

行く宛はいつだって
何処にもなくて
それでもたどり着かす風を
待ち続けてる
悲しい果てに見えるなら
目を閉じて

楽園は遥か向こうで
こんなに何も答えないまま
それを受け入れて置き去りにされる
この思いを
(以下略)

どんなに求めても、
「自分が求めているもの」を「求める」旅は終わりを見せない。
我々は、「求めているもの」が手に入らないから苦しむのではない。
「求めているもの」を探している振りをしていながら、
「探しているものはもう無い」と言えないことが苦しいのだ。

だから、我々は旅に出る。
「探しているもの」がどこかにあるのではないかと。

でも無かった。どこにも。
もちろん、自分の中にも。

文化系トークラジオ Lifeで、柳瀬さんが面白い発現をしていた。
社会人になると、自分と向き合う期間があるのだけれど、
自分を掘っていって分かるのは、
結局自分の中になんてたいしたものは入っていないということ。
世界は、私たちが計り知れないほど豊かである、とも言っていた。

oniが幸福だったのは、彼女の「表現」が受け入れられたからだろう。
あれだけ世界にたいして絶望しているような振りをしていながら、
また、あれだけファンに対して「冷淡」に振舞っていながら、
「世界」や「ファン」が彼女を受け入れなければ、
本当にoniは「明日死ぬ」しかない身になっていたはずだ。

だからこそ、彼女の発言は全てネタなわけで、
間違っても健全な中・高生は信じちゃだめだぞ!

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