村上春樹『海辺のカフカ』を『精読』する

 村上春樹海辺のカフカ』について気づいたことを、書き留めてみたい。

 そもそも、「さくらさん」という存在自体が、なんかうさんくさい。
 存在しないはずの「B29」と、さくらさんが身につけている「ピアス」が、
ともに「ジュラルミン」のように輝いているという「偶然」の一致を、
見逃すことはできないと思う。

 B29を不在「非在」の象徴として解釈すれば、その不在(非在)の象徴性を
表象する「ジュラルミン」という形容を唯一まとった「ピアス」を身につけるさくらさん
もまた、不在(非在)の存在として認識できるのではないだろうか?

 そう考えるといくつか気になる点がある。
 まずさくらさんが仮に住むことになるアパートだが、とても人間が「今」住んでいる
という感じがしない。腐った冷蔵庫の食品が、それを象徴している。カフカ少年は、さくらさんの
家事能力の無さとして認識しているようだが、さくらさんが不在(非在)なら、家事そのものを
することができないのだ。干している洗濯物は、元々の所有者である「友人」(そんなものが
いるかどうか疑問だが)が「旅行」に行く前にしまい忘れたものとでも考えればいい。
家事能力が無いんじゃなくて、誰も住んでいないんだから、家事をする人がいないのだ。

 また、「アパート」という空間そのものが、そもそも怪しい。
 「カーネル・サンダーズ」が用意してくれるのも、アパートだし、星の青年とナカタさんが
結構無茶なことやってんのに、アパートの住人は気づきもしない。本当に、そのアパートに
現実に「人」は住んでいるのだろうか?そうすると、「アパート」に向かうとき、『海辺のカフカ
では、かならず「タクシー」が遣われるのも気になる。さくらさんがバスを降りてからアパートに向かうのも、
カフカ少年がさくらさんのアパートに向かうときも、ナカタさんと星の青年がアパートに向かうときも、
全部「タクシー」が使われている。「タクシー」とはおそらく、「アパート」という<異界>へ
登場人物を運ぶ「乗り物」なんだろう。

 次に携帯電話。これについても、「プリペイド式」の携帯電話を持つさくらさんは、
その存在を確認できない。ここで見逃せないのが、カフカ少年が、高松に来てから
携帯電話を「一度」しか使っていないといっていることだ。しかし、これはうそなのだ。
なぜならカフカ少年は、父親の元にも(つながらなかったにせよ)電話をかけているのだ。
海辺のカフカ』中では、カフカ少年が一度だけかけた電話は、「プリペイド式」の携帯
にかけたことになっているが、それは大島さんとカフカ少年の会話から判断できるだけで、
その「一度」が、実家にかけたものかもしれない可能性を否定することはできない。

 今は、ここまで。