街場の教育論

内田樹著『街場の教育論』を読む。

街場の教育論

街場の教育論


   <もしかすると、私の中ではかつて一度も像を結んだことのない
   ような形象や、一度も感知されたことのない情緒や、一度も言語
   化されたことのない命題がこの世には存在するのかもしれない>


 優れたテクストを読むことは、「自分が与り知らない世界が、

自分が住む世界とはかけ離れた世界にあるのではなく、

『いま・ここ』にこそ存在し、『あの人』には、

確実に『その』世界が見えているはずだ」という確信を、

一人一人の中に醸成する行為だと思います。


 何度も引き合いに出す『教養としての大学受験国語』(石原千秋著)は、

「ことば」を獲得することで、「風景」が全く違って見えることを、

高校生の私に教えてくれた「聖典」のような書物です。


 高校の先生が受験期に、受験用の「課題」として指定してきた「参考書」は、

立派な「テクスト」として機能し、この本を媒介として、

大澤真幸加藤典洋上野千鶴子竹田青嗣などの「ビッグネーム」を知り、

大学に入ってからは、哲学や社会学・国文学やサブカルチャーまで、

「織物」を紡ぐようにして、狩猟していきました。

(いわゆる「理科系」の素養が抜けているのは、大きなコンプレックスです。)
 
 
   <私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたこと
   によって、人は自分の知的限界を超える 155p>

 私が、そのように興味関心を拡げることができたのも、内田先生が

言うように、<私をはるかに超越した知的境位が存在する>と信じたから

でした。



?あの人の書物を読めば、自分が知らなかった世界が見えるようになるので

はないか。

?あの人の書物を読むと、何を言っているのか、書いているのか

よく分からないが、確実に自分より遙かに卓越した知性を持ち、遙か遠く・

先の未来まで見通せているに違いない。

?あの人は、私と同じ世界に生きていながら、私とは全く異なる視点で、

この世界を眺めているに違いない。


 書物を前にしたときに感じる昂揚は、目の前にある書物を紐解けば、

たちまち自分を異次元の世界に連れ去ってくれるかも知れないという、

ある種のファンタジーにも似ています。

 換言すれば、私にとっての書物とは、すべてファンタジーなのです。